33億6000万円

話す大人です

「ジュリオ・チェーザレ」


古典オペラでここまでオリジナリティ溢れるキャラ立ちをやってのけ、演技プランもいきいき緻密。見事に面白かった!演出家が「ギャグだろこの話」と思ったシリアスオペラを本当にギャグ仕立てにした名演出という感じ。最近の新国オペラでは「ペレアスとメリザンド」に続く個人的に好きな演出。


新国立劇場ジュリオ・チェーザレ」。パンフレット買いそびれたので、事実誤認も山ほどありそうだが自分の素直な感想で。
バロックオペラは新国立劇場オルフェオとエウリディーチェ」に続く人生2本目。40歳くらいまで比較的安く観られるなら行くか……という消極的態度で新国立劇場に時々行き、気に入らなかったら途中で帰っている。見るのは少なくて年に数本、多くて10本くらい。知識は音楽の教科書程度、つまりそんなに詳しくない。


演出家がとにかくクレオパトラとトロメーオのバチバチ姉弟、それからクレオパトラとニレーノのご陽気主従、トロメーオとアキッラのホモソギスギス主従に萌えているのは明確で、「この話シリアスな笑い系のギャグだと思うからギャグでいきます」という心情と共にキャラ萌えを隠そうともしておらず、それが非常によかった。というかこれらギャグベースのキャラ解釈というか、特にクレオパトラとニレーノを陽気でゆかい、男女だけどシスターフッドみたいな関係だと読み解いて徹底的にほのぼのハジケて演出したのはこの演出家の手腕(というか発明)だろう。ほかにジュリオ・チェーザレ見たことないので、違っていたら教えてください。
本当にクレオパトラ・ニレーノ・トロメーオのコメディリリーフぶりはすさまじいものがあった。本当にオペラ・セリア?と何回疑問に思ったかわからない。客席からもいっぱい笑いが起きていたぞ。


古代ローマ・エジプトの物語が、現代の博物館のバックヤードにて展開される。博物館の客?や従業員も入れ替わり立ち替わりやって来るなかで、ジュリアス・シーザークレオパトラがどったんばったんする。イメージとしては「生者には基本見えてないナイトミュージアム」という感じだと受け取った。客や従業員に歴史の亡霊たちは基本見えておらず、しかしたまにこの亡霊たちは展示品のようにポーズを取ったり、ガラスケースの中で静止したり、ラストには総出で客を見送るような構図をとったりもする。
武器は展示品の箱から取り出すし、飛行機から降りるときのようなタイヤつきの階段で高いところからおりるし、死体はバックヤードにあった手押しの運搬車でごろごろ超スピードで運ぶ。死んだポンぺーオの骨壺の前で歌われるソロなど、展示品のツボにチェーザレがまとわりついているのだ。ハーレムのシーンでは展示品の木箱を積み重ねて高座もどきを作り、絨毯をそこらじゅうに吊るしたり敷き詰めたりして、おままごとのようにお粗末な空間を作っている。だからこれは亡霊の夢でしかないのだとよくわかる。
しかし撒き散らされたじゅうたんは従業員たちには見えていて、頭を抱えてみんなで片付けている。トロメーオが道をふさいでいれば、従業員がどんなに押しても台車は止まってしまう。(このあたりの詰めに詰め込まれたアイデアがなんとも好印象である。)だから、彼らはたちの悪いポルターガイスト、残留思念みたいなものなのだろう。


歴史上の登場人物たちが、思念のかたまりとして、夜な夜な茶番を繰り返しているような、博物館の景色に宮殿や浜辺、戦場や牢獄の幻想をオーバーラップさせながら、かつては深刻だった命のやり取りを、滑稽にもきわめて真剣に演じ直し続けているような趣がある。従業員たちを彼らは自分達の茶番の装置として使うこともあり、従業員たちの姿を意のままに操り(影みたいなものかな)兵士役をやらせたり、死体を片付けさせたりする。博物館のバックヤードという、きわめて狭い場を支配するちからをもった歴史的幻想なのだ。
(目が悪くてカーテンコールのときまで気がつかなかったのだが、みんな作り物みたいな白塗りメイクをしていた。なぜかクレオパトラだけ例外だったが……亡霊性の示唆、生者性の棄却を表していると考えていいのかな?)
しかしこの「追体験」のしくみは、「ペレアスとメリザンド」の夢演出にも非常に通じるものがある。私の好みが似かよっているだけかもしれないが……下書きずっとためてるのでそのうちこれの感想もアップするかもしれません。


場面設定は極めて奇妙なのだが、ちゃんと必然性がある。そのひとつがたぶん滑稽さなのだ。キャラクターを愛し、喜劇っぽさを強調して書くならば、普通に死人がバンバン出て命の取り合いもする本作ではどうしても矛盾する部分も出てくるが、もうすでに終わった物語、失われた命がわかりきった結果のもとで繰り返す茶番なら、それがハタから見て滑稽でもいいだろう。
これはとくにコルネーリア親子による復讐の完遂、トロメーオ殺害のシーンであまりに露骨だった。トロメーオは親子にはさみうちにされてアワアワし、カエルの断末魔みたいな変な声でマヌケに叫んでべしゃっと死んだし、大きな笑いが起きた。丁寧に丁寧にそれまでの幕でもおふざけキャラとして描かれてきた悪役トロメーオだが、それは完遂された。
家族を奪われて悲しみにくれ、復讐に燃えるだけのコルネーリア親子が自主的にコメディに参戦することは本演出でもまずなかったが、復讐対象の死は容赦なくコメディなのだ。


ただ、喜劇的というのは必ずしも演出家の好みだけから来るような話ではない。(つまりここにも必然性がある)。
第一に、ドラマとしてどう作るかという問題だ。そのままやればまあ上品ではあるだろうが、そもそもチェーザレ、タイトルロールのわりになにもしてないし何なん?という印象はまずある作品なのだ。チェーザレクレオパトラ、そしてコルネーリアとセスト親子の3勢力の目的がそれぞれ「トロメーオを倒す」でしかなかった中で、トロメーオ殺害はコルネーリア親子がやってのける。チェーザレなんもしてへん。工夫しないとつまらなくなりかねない。
そしてバロックオペラの特徴か(オルフェオとエウリディーチェも割とそんな感じだった)2行くらいの詩を5分10分延々繰り返すだけのアリア、みたいな曲が大量発生している。合間合間に歌のないオケのみ演奏もオルフェオ……ほどじゃないにせよけっこうある。重唱もビックリするくらい少なくソロ重視。アンサンブルは一幕終わりのコルネーリア親子と、あと本当にフィナーレのメインカップル(チェーザレクレオパトラ)だけじゃないかな。合唱の歌唱箇所もきわめて少ない。つまり普通にやったら(一部のマニアを除き)かなり飽きるし眠い演目だと思う。合唱の人件費ももったいない。ボリュームもけっこうある。これを目の肥えた、初演当時と常識も異なる観客の前で飽きさせず、楽しんでもらえるように作るにはどうしたらいいか?
本演出はかなり見事にそれを克服していた。ずーっと誰かがなにかやっている。舞台にはなにかが起きている。歌詞だけに頼らない、演出が見いだした生き生きした世界の新しい情報が演技や小道具で毎秒入ってくる。合唱をしっかり使っていたのもなんともよかった。楽しく見応えのあるものを作ろうとした結果に見える。


第二に、上で述べたように「喜劇的に作る余地がある部分が実は多い作品だ」というところだ。クレオパトラの語り口や挙動は歌詞をなぞるだけでもけっこうオモシロで、冷静に観るとまず異様に切り替えが早い。爆速で調子に乗るかと思えば、次の瞬間にはチェーザレが死んだと思ったり弟に失脚させられかけたりで爆速でしょげ「もう死んでやる~~~!!!」とたっぷり悲嘆に酔ったアリアを歌いまくる。展開がとにかく早くて急なのが原因なのだが……
この切り替えはリアルだが、コミカルでもある。
調子にのっているときのクレオパトラはめっちゃ煽る。初登場時に「王になれなくてもあんたには愛(女遊び)があるでしょうが♥️」と弟を煽り立てるアリアは完全に喜劇。ここに演出家は、クレオパトラを高いところに配置、悪口言われてとびかかろうとするトロメーオが登ろうとしては失敗し、クレオパトラにゲラゲラ笑われながら繰り返しはたき落とされる絵を作った。客席は爆笑で、このシーンあたりから喜劇色があからさまになってきたといえる。
死んでやるアリアの中でも「死んだら死んだで化けて出て弟をきりきり舞いさせてやるからな」と唐突な不屈マインドが顔を覗かせたり、やっぱりなにか笑えてしまう。
身分を隠して侍女を装っていたはずが、何かあるとすぐ「この女王クレオパトラが!」と名乗りをあげてしまって「やだ私ってば~」でごまかしたり(ごまかせなかったり)、素で面白すぎる。
これら、自然に感じ取れるコミカルさを殺さないように素直に、と志向した結果コメディタッチになったのだろう。クレオパトラ、調子に乗るとすぐ踊り出すのでと~ってもかわいかった。
ニレーノとトロメーオがカウンターテナーの役どころなのもいい。キャスト表を真面目に見なかったのでかなり舞台が進むまで両方とも演者は女性だと思っていたくらいだ。重々しい男声ではないので、軽めの物語に仕立てやすかった部分はあるかも。


もうひとつは場面転換の必然性だ。本来であればチェーザレ陣営、エジプト王の宮殿、チェーザレの居室、トロメーオの寝室、コルネーリアとセストの動き、獄中のクレオパトラチェーザレの流れ着いた浜辺等々、めちゃくちゃ色々な場所が必要なはずなのだが、相当お金と技術(説明力)がなければ入れ替わり立ち替わりの場面を逐一表現するのは困難だ。アイーダより金がかかるかもしれない。その点本演出ではその必要がない。亡霊たちがめいめい勝手に好きな風景を幻視して、バックヤードのありものでそれらしい展示品を使ってままごとをすればいいからだ。大変省エネだ。
なかでも、トロメーオとクレオパトラの権力闘争(一瞬で決着)を合唱たち(博物館従業員たち)による騎馬戦でサッとすませたのはしびれた。抽象的にしてしまえば短くても説得力が出る。
また、一幕ラストは本当に良くできていた。セストが捕らえられ、牢屋に連れていかれそうになったところでコルネーリアが「せめて最後に息子を抱き締めさせて」と嘆願し聞き入れられるのだが、そこで取り押さえ役の合唱がみんな退場してしまい、ふたりはかなり長尺の2重唱をやる。えっもしかして普通に解放されたの?とすら観客が疑い始めた頃、ふたりは車輪のついたブロックのようなもの(2つ繋がっている)の左右に腰掛けて歌う。
最後はその両端を博物館従業員がひとりずつ掴み、ゴロゴロ引きずって袖にはけていく。二人は座ったまま自然に引き剥がされる。いいやり方だなあ、と思った。


演技上の功労者(特にいきいきした命を吹き込まれた役柄)はやはりなんといっても繰り返すがニレーノ・クレオパトラ・トロメーオ。ニレーノは本当に筆頭だ。たぶん演出家のオリジナル成分がもっとも含まれているのでは。なんかいつもエジプト壁画のポーズしてたし、ちょっとしたポーズ、ちょっとしたツッコミの全部が面白いキャラだった。クレオパトラとの関係性が絶妙に仲良しかつコミカルで最高主従だし、最後に全員で観客を見送るところはトロメーオの硬直した死体をキャリーみたいなのに乗せて(立たせて)ギュン!と観客の前に引っ張り出して"真の全員集合"の体を取ってくるしで面白すぎた。死体を雑に扱うと笑いが起きるようなコメディプロダクションだったことを感じ取ってほしい。


あと、博物館の搬入口?みたいなところが開きっぱなしになって砂がいっぱい吹き込んでくるような場面があったのだが、その向こうにピラミッドが見えた。これは博物館の所在地がエジプトだよ、というエクスキューズかな、と思い、だとしたらかなり感心するなと思った。大英博物館とかの「簒奪先」で再現劇が展開されている訳じゃないという表現というか。
去年の新国ニュルンベルクのマイスタージンガーは「この設定(女の賞品化、意思決定機関は男のみ)を批判ニュアンスもなくそのまんま2021年設定で上演する」ということにドン引きして1幕で帰ってしまったのでこういうところに神経通っててくれると安心する。お門違いかもしれないが。
(全幕みたら印象違いましたか?ワーグナー作品を差別的目線から救うのはそもそも不可能に近い話かもしれないが、ニュルンベルクの戦争裁判を引いたりベックメッサーへのユダヤ人差別文脈を批判的に描いた演出がすでにあるのだから、足掻くくらいはできるはずだ)

 

「なんでその設定でやりたいのか」「その設定でやりきれるのか」の答えをきちんと出せているか(後者を無理矢理にでも「イエス」にする必要があるのは言うまでもない)が読み替え演出において本当に大事だなというのは何度も痛感した。
作曲家や保守的な観客と殴り合ってでも面白いもの、納得の行くものを作ろう!というパッションが感じられ、演者一人一人の演技プランが細かく練られていて、舞台上にいるすべての人間の一秒一秒に神経が通っているプロダクションはやっぱり「いいもの見たな」と思って帰れる。面白かった!ありがとうございました。


再演してほしい!スッゴい大変だろうけど!

ブルートゥース・コネクテッド~iPhoneを探す邪道編~


怪奇!ビービー泣きながら交差点を往復する女!
iPhone落として3時間後に発見した話。見つけるのに使ったのはBluetoothイヤホン。アホの探しかた。ライフハック小話じゃなくて「ウエ~~ンひどい目にあったよ日記」だよ。こういうときの正しい対処は一応わかったので最後に記録しておくが、スマホなくしたらそれも見られないんだよな~


ウキウキでお出掛けした最寄り駅でスマホが鞄に入ってないことに気づき、しかしおうちに戻ってどんなに探しても見つからず、私の部屋はWi-Fiを引いてない無人島なのでスマホでのテザリングが封じられてはPCもタブレットもofficeが使えて『ゴールデンカムイ』『吸血鬼すぐ死ぬ』『動物のお医者さん』が全巻読めるだけの板でしかなく、コールで呼び出すことも家族や友達に助けを求めることもできない。
最初はどうせおうちのどこかにあるだろうと思い、仕方がないので近所の交番で頼んで(警察の皆さん本当にすみません)コールしてもらった。それでわかったのは「お宅にスマホはありません」ということだった。リスの小屋より狭い賃貸なので着信が鳴って気づかないのはありえない。うちにはない。駅に聞いたけどない。じゃあ落としたってこと!?
もう顔面蒼白。半泣きと大泣きの中間。午前の予定は当然つぶれた。一人の予定だったのが不幸中の幸いだったがiPhoneなくすとかマジで何事。予約とか決済とか連絡とかどうすんのマジ。


マジパニックで冷静な判断不可能状態のなか、とにかく交番で遺失届だけは出し、今のところ届いてないという情報をもらい、私は鞄からBluetoothイヤホンを掴み出した。タブレットはデータ通信も電話もできないので、これが持ち物のなかでiPhoneと通信できる唯一のアイテムだったからだ。ワイヤレスイヤホンと言いつつ長めのケーブルを首に引っかける形式のやつ(耳にちょっと入れるだけのやつはぜったいなくすからね)
こいつはiPhoneと接続するといつもポッと音を出し、"Bluetooth,connected"としゃべるのだ。
これをオンにして家と駅のあいだをうろうろした。ダメもとの苦し紛れだったがところがどっこい、近所の交差点でブルートゥースが繋がったではないか……うそでしょこのへんにマジであるんじゃん(私のiPhoneBluetoothイヤホンはお互いにしか接続したことのない唯一無二のペアだから、ペアリングもなしに速攻接続音声が流れるのはiPhoneしかありえない)……接続音声聞いたとき飛び上がるほどビビった。というかこれで「落とした」は確定した。落とすなあんな重いもんを。


しかしここからが長かった。とにかくBluetoothイヤホンの接続圏が意外と広い。性能のよさが仇となった形だ。交差点の全域で繋がる。声はすれども姿は見えず、交差点のまわりじゅうを探しても探しても見つからない。Bluetoothは無慈悲に繋がる。繋がるというのはこの半径10メートル圏内にあるということだ。つまり誰も警察にも駅にも届けておらず、ぜったいに自分で見つけるしかないという意味だ。それがむしろ絶望感。だってどうしても見つからない。交番へ探すの手伝ってくださいと頼みにいこうと思ったけど、人身事故が起きたからって言ってみんな出払ってしまった。それは当然だし事故の人は助かってくれ。こんなに狭いエリアなのに本当に見つからない。車にひかれてバキバキになっちゃったのかしら、とも思ったが、横断歩道の辺りに残骸はない。というか元気よく接続してるしな。無事なのはたぶん間違いないのだ。少なくともいまは。とにかく早くしないと。


もし親切な人がスマホを拾ったらどうするだろう?と何度も考えた。
① 平らなところや少し高いところに置く。
② そのへんのお店の人に預ける。
③ 交番に届ける。
たぶんこのへんの選択肢だ。3番は現実として届いてないので消去。このあたりにあるのは間違いないので①か②だ。親切じゃないこのへんのおうちの人が見つけていたら、ガメて自分ちへ置いてしまったかもしれない。やめろ!ご近所さんを信じろ!ともかく①②を信じて植え込みをあさり、塀の上を見まくり、空き家の郵便受けとかまで見た。開いているお店は日曜のくせしてほとんどなかったが(大丈夫かこの町(いい町です))イヤホンが「ブルートゥース、コネクテッド」てしゃべる範囲の開いてる店には全凸した。開いてないとこも念のためピンポンした。でもおばちゃんもおばあちゃんもおじちゃんもみんな知らないって。もうだめだ。もうだめだ。どうしよう。


一時間たって二時間たって見つからなくて、同じところをぐるぐるまわり、ごみ袋が積まれたところも漁った。ごみが回収されそうになったとこへ駆け寄って収集のおじさんに「この辺でっ携帯をっ落としてえ」「この山にはなかったよ!」みたいな会話もやった。家族と連絡が一切つかない状態なのが怖くて公衆電話まで歩いていって母に電話した。第一声「ママ!!!!!!」だった。弱りすぎだろ。あんたいくつや言うてみ。現代人の最悪の弱点iPhone。繋がった瞬間わんわん泣いてしまった。そこからはもうグズグズ。母に携帯にコールしまくってもらったけど、車やヘリコプターの音がうるさくてなにも聞こえない。ビービー泣きながら同じところをさまよい歩く。交差点の幽鬼、俺が怪奇現象や。きょうの午後はちょっと離れた町へ出て盆踊りにいきたかったのだ。だって今日の盆踊りなんてぜったい今年の踊り納めじゃん。私は盆踊りが大好きなんだ。あと2時間で盆踊りが始まってしまう。楽しい土日にしたかったのに。うちはありがたくも恐ろしくも永遠の過保護なので(過保護な理由は100パー私にあることは想像に難くない)両親が高速ぶっとばしてここへ来るんちゃうかな、という気もしたが、公衆電話までいかないと連絡がとれないのでわからない。さっき十円なくて100円玉入れたんだもん。100円玉もう1プッシュはさすがに嫌だ……あとマジで見つからなかったら本当に親に顔向けできんし……携帯代とかは普通にいい大人なんで当然自分で払ってるけどそういう問題ではなく……道なんかじゃなくて電車で落とした方がぜったい見つかる確率高いだろ!ブルートゥースコネクテッドじゃね~!!こんなに見つからないのにBluetoothだけはぜったい繋がるじゃん!!!!怪談だよ!!!!
泣きながら横断歩道をわたって、また横断歩道をわたってn回目に向こう側へ渡ったとき、小さな女の子と、いかにも運動できそうなパパが自転車に乗って、帰ったら何を食べるか相談していた。やきそば。かき氷。いいなあと思いながら、じろじろ見るわけにもいかないからすっと視線を外したーーさきに私のスマホがあった!あった!上に!自動販売機の!ちょっとはみ出して置いてある!!!


自動販売機の上!!!!!!ジャンプしてとびついて何とか取れた。親子はぎょっとしていた。そりゃそうだすまん。たぶん置いてくれたのは上背のある人だろう。背が低い女にとってそこは「手が届く」場所じゃないからすっかり見落としていた。あった!あった!あった!よかった!親切な人ありがとう!急いでただろうにありがとう!!割れてもない!きれいなままだ。iFace最高!めちゃくちゃ熱こもるけど丈夫さには換えられない。


交番からの着信が3件、母から6件、父から13件入っていた。
それで、まぬけなのはここからの話だ。遺失届を取り下げるため交番へ歩きながら、とにかくまず母に電話した。母の第一声がこれ。
「電話くれたあとに調べて、もうスマホがある場所は位置情報まで全部わかってたから、メメマミムの連絡を待ってたんだよ。もうそっち行こうかと思ってたけど」
ええ~~~~~???????????????????????????
いわく、だいぶ前に「iPhoneを探す」の設定をやっていたらしく、AppleIDのパスワードは家族間で共有していたため、父のiPhoneから私のiPhoneの位置が探知できたらしい。なんかそんなこと昔やったような、やらなかったような……
両親の方がデジタルに強いんかい。頼り甲斐がありすぎる。
アタイの涙はなんやったん……バチが当たったのかな……


とにかく、私の手持ち機器で本当にやるべきだったフローは以下だったことがわかった。
タブレットをもってWi-Fiのある場所へ行く(飲食店か携帯ショップ、あとはジャパンWi-Fiなどを無料でDLしておくとたぶん使えるんだと思う)
② AppleIDでログイン(ブラウザからなのでタブレットの機種関係なし)
③ 「iPhoneを探す」で位置情報取得


iPhoneを探す」って便利だね!手動でやるんじゃねえ!
ともあれ見つかってよかったです。警察の人には「あれからずっと探してたんですか……?すみません同行できなくて……」てすごい謝られた。いやすみませんこちらこそ……
しかし些末なことに見えて、つらいときにスマホで気を紛らわすことができないのは相当しんどかった。「くしゃみ 消費カロリー」とか検索できないの苦痛過ぎる。TwitterができないLINEができないのもしんどかった。私は思った以上に「やろうと思えばいつでも誰かに自分の話を聞いてもらえる・自分の状況を知らせられる」状態を常時求めてるっぽいので、iPhoneがなかったら結婚と離婚をすでに5回くらい繰り返している可能性がある。
あとわかったのは思った以上に母を精神的支柱にしているということだったが、まあ、まあ、まあ………依存しがいのある頼れる母でね……


おかげさまで盆踊りはとっても楽しかった。出店ゼロで3時間ストイックに踊りつづける、本当に「盆踊り」しかない催しですごかったが、泣きながら歩き回ったあとだったので本当に足腰が死んだ。
はじめて踊る曲も多かったが、ハワイ音頭の歌詞に「色即是空」が入ってるのが聞き取れた衝撃は多分一生思い出すと思う。

 

週末は「唐人街探偵」を見てほしい

何かしようかな、どっか行こうかな、と思うとき「唐人街探偵」に時間をもらえないだろうか。特に都市部の人。

「唐人街探偵」は中国発の多言語多国籍ハチャメチャバリバリジャンジャンイケイケドンドン映画である。ジャンルを聞かれたら「""勢い""かな…………?」という映画(一応コメディ・ミステリーらしい)。いま「唐人街探偵2」が上映中。2だけで見られます。

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↑内容は何もわからないがはちゃめちゃばりばりじゃんじゃんいけいけどんどん多言語多国籍映画感が伝わるポスター

めちゃくちゃおもしろい‼️基本的に中国人のひょろい男の子(色白でハタチくらい)と変な親戚のおじさん(常に大騒ぎ)が世界のいろんな大都市で事件解決に向けて街を壊したり大乱闘したり裸になったりコスプレしたり閉じ込められたりニコニコしたりとにかく激しくドッタンバッタンジタバタするお話なのだが、2では英語と中国語、3では中国語と日本語と英語がめちゃくちゃ飛び交うので言語学習のモチベが上がる。

1はバンコク、2はニューヨーク、3は東京が舞台である。4はまだ出てないがどうやらロンドンっぽい。中国では私立探偵というものが規制の対象なので、中国国内を舞台にした探偵ものが出来ないことから抜け道として「チャイナタウンがある世界中の都市で、チャイナタウンの探偵が大暴れ‼️」という設定になっているらしくその時点でかなり興味を惹かれる感じ。

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これもまたイケイケドンドンなポスター。真ん中が変なおじさん。左がひょろい男の子(脳のリミッターが外れてるタイプのぶっ壊れた異能頭脳の持ち主なのだがちょっと大人しくて吃音持ち、大口開けてハシャいだり暴れることもちゃんとあり非常に非常にチャーミング)。

後列左端が妻夫木聡。ひょろい男の子くんとぶっ壊れ頭脳探偵仲間の歳の差マブダチの役。これまたチャーミング。2ではちょっとだけ出てくる。英語も中国語もしゃべる。3ではすごくいっぱい出てくる。振袖をスーツに仕立て直したような派手な服を着ていてよく似合う(3は日本人俳優が結構バンバン出てくるので詳しい人はさらに楽しいかも)

ハチャメチャバリバリイケイケドンドン映画シリーズなのだが、予算感もぶっ壊れている。3では渋谷のシーンを撮るために「原寸大の渋谷」のセットを作って撮ったとか、とにかく巨額のマネー感がすごいので、ジャンジャンお金を使って撮られた映画を見るとそれだけでスカッとする‼️と思う人は一見の価値がある。

 

劇場は以下の通り

「唐人街探偵 NEW YORK MISSION」の映画館(上映館)を検索 - 映画.com

ご覧の通りあまり多くない(都市部に固まってもいる)。いつ上映終了するかわからない。今のうちに見てほしい。

日本ではいま「2」が上映されているが、2021年夏には「3」をやっていた。逆行しているわけですが、そんなに気にせず見られるので大丈夫です。バーフバリだって2からやってたけどそんなに困らなかったし

コメディタッチなのに事件が意外とえぐかったり真相が激重だったりして温度差で風邪をひきそうになるのもなかなか攻めている。

ものすごくテンポが良いのと(推理もののはずなのに地味で地道なところや長丁場になるパートがマジでなく、ドンドンドンドンドンバン‼️‼️‼️みたいな勢いですべてが進む)、致命的に失敗したりあまりにも人前で恥をかかされて可哀想だったりするパートが非常に少ない(しみんな堂々としてる)ので共感性羞恥持ちにとって耐えがたい時間がほぼないのもストレスなく見られてスカッと楽しい。真相解明シーンが心にくることはあるが………

 

ただ、お約束みたいなギャグがもうそれはそれはめちゃくちゃに詰め込まれているしあ〜〜っ楽しかった〜〜‼️‼️って感じの映画でもあるしお話もキャラクターもみんなものすごく魅力的なのだが、ちょっと勢い重視がゆえにやや無神経なギャグやちょっと大丈夫かこれ…?というような瞬間がごく時々挟まれるのが玉にキズではある…………………ただまあ私はそういうの相当気になるタイプで本作品でもところどころ「む……」となったが「本当に無理何も考えてなさすぎ」とまではいかないレベルでもあった。全体的に非常にあっさりしたノリなのがでかい。ものすごく魅力の強い作品なのは確かです。私もまだ1見てない(日本公開されてない)し、2と3の間に挟まれてるスピンオフドラマも見てないんだけれども(ギャオで見れるっぽい)

 

2、やってるうちに劇場の大画面で見てほしい〜‼️みんな見て〜‼️行こう〜‼️

選挙ボラと自分のタブー

後学のために選挙ボランティアに行ってみた結果、自分の中に刷り込まれた恥の意識みたいなものと改めて向き合うはめになった。センシティブな記事なのですぐ非公開にするかも…ちょこちょこフェイクを入れています。

 

先日というか10月末にたまたま休みを取る予定があったので、タイミングよく衆院選間近、何か選挙とか投票行動に関わることをしてみようかなという気になった。東アジアの先進国の都市部に女として生まれて、いろんな人と関わって、選挙にも暮らしにも社会にも人生にも言いたいことはいつも山ほどあって、明日がちょっとでも良くなるってなんだろうどうしたらいいんだろうと思っていた。投票と寄付(国連難民高等弁務官事務所に毎月少し寄付している)以外にできることがあるならやってみたかった。Twitterで検索すれば(日々の情報の全てをTwitterで得ている)選挙ボランティアは普通に歓迎してくれるらしい。

人権重視、福祉国家寄り、学問重視、夫婦別姓同性婚賛成の党が良かったのでそれに近いところを選び、居住地から一番近い事務所に「ボランティアをさせてもらいたいんですが、お手伝いできることはありますか」と電話をかけた。年配の男性らしい方が応対してくれて「非常にありがたいし、良ければ明日街宣があるからその手伝いをしてほしい」と言われた。

ありがとうございます行きます、と返事をしたが、この時点で既に「この電話をしなければ私は将来この時の自分を社会変えたがりのくせになんもできねー腰抜け野郎と思っただろうし、かといって明日ボランティアにいけば将来の私はそれをしょっぱい気まずい思い出として処理するだろう」という予感を持った。

 

というのも、前回の衆議院選挙の時も近い気持ちで街宣にわざわざ行ってみたり、自分の住んでる地区の候補のビラを事務所へいって2〜30枚もらい、近所にポスティングしてみたりしたことがあった。このことは私にとっていつも「間違っていたとは思わないが、人に話すのは恥ずかしい気まずい思い出」であり、思い出すとちょっとウッてなる。なんというか「勝ち目の薄い告白をやっちゃった」ときの後々引きずる気持ちとそっくり。他人からの評価を一番気にしているところも含めて。ボランティアなんてさらにそんな気持ちになるに違いなかった。

なんでだろう。私は普段からあらゆる個人が尊重されることや女の人生がより良くなること、貧しい人間の人生を引き上げること、家父長制がぶっ壊れることなどを「そうなるべき世界の形」として公言してはばからないのに、その主張に党派性を帯びさせる(政治的になる)ことへの及び腰、恥の意識のようなものがどこかにある。「後学のために」とか「選挙なんてしょっちゅうあるもんじゃないから、お祭りみたいなものですよ コミットできるとこまでコミットしてみたいじゃないですか」みたいな言葉で私は多分ボランティア参加の動機をいつか語ろうとするだろうし、それはある程度本心でもある。しかし本当の本心は「○○党支持者だと思われたら恥ずかしい」の気持ちだ。

でもパブリックな主張は最終的に党派性のある世界(政治の世界)で主張されることになるし、つまり党派性を帯びることを選んだ人たちに私は自分の主張を投票によりしばしば仮託しているわけだ。なんか恥ずかしいのよ言わないよ党派性を帯びないよと言って私は他人にずっとそれをやらせてきたわけだ。ずっとそれではあんまり良くないと思った。無意識の恥をすぐには捨てられなくても、一度向き合ってみないといけない。

 

お邪魔したのは共産党の事務所だった。ご一緒させてもらったのは男性も女性も全員60代以上だろうという方々ばかりで、40年選手だという人も珍しくなかった。とても快く接してくださった。ちゃきちゃきして、人の良さと怒りのパワーが両方感じられる人達だった。

街宣の横でビラを配って、そのあと学生さんの多いところへ移動してジェンダー平等に関するパンフレットを配った。街宣に来ていたのは私がかなり好印象を持ってる議員さんだったので応援してますと言ってツーショット撮ってもらった。

私はがんばって配布物を配ったし、実際かなり配れたし、来ている議員さんは個人的にも思い入れのある印象のいい人だったのに、しかし私はやっぱり「何か恥ずかしくて」揃いの蛍光色のパーカーが着られなかった(服として着たいものではなかったにせよ)し、どうぞと差し出してもらった共産党の腕章もつけられなかった(手で持った)。信じられないほどバカにされコケにされ、まともでない受け答えをされ、それでも必死で誠実に福祉を平等を求めてぶつかり続ける集団のひとつという好ましい価値判断を私はこの党に対してかなり抱いていて、なのにこんなに頑張り続けてる人達に対して「一緒に見られたくない」というような気持ちを持っていて、主張を書いた大きなプラカードへの気恥ずかしさみたいなものもあって、その気持ちこそ恥ずべきですらあるのにこりゃ本当になんだと思いながら立っていた。

 

ただ思い返せば、大学のサークルとか会社でも似たような気持ちになってたなそういえば、と思う。サークルにどっぷりだとか愛社精神旺盛とか絶対思われたくないって気持ちがすごくある。党派性への恥ずかしさ、これも多分この類型ではないかと思う。「心酔してると思われたくない、所属ある人と思われたくない」とか「イケてない奴らが群れてんなと思われたくない」のだたぶん。つまり党派性とは帰属性の中に含まれる概念だといえる。帰属している、染まっているという表明がイヤなのだ。バリ自分語りだが自分が恋愛に対して「恥」という感覚を強く抱いているのもこれが原因な気がしてきた。

でもそういう人って多いんじゃないかな。"推し"に心酔してファンコミュニティを○○クラスタ最高〜‼️ってたのしく狂える人もいるけど、そういうのマジで無理ダセェって人もかなりいるのではないか。愛社精神旺盛だなって絶対言われたくない人、結構いるのではないか。明確な帰属が、その表明が恥ずかしい(ダサい)。個人主義とリンクした感情かもしれない。ダサさがより忌避される空気感もあると思う。ふりかえって「ダサい自分は嫌だ!」と私はものすごくものすごく思っているのだと痛感する。

 

人が避けていく閑散とした中での演説、ほとんどお年寄りしかいない二桁人もいない集団。何か居心地悪い、と思うのはしょうがなかったかもしれない。でも古くなった車、手作りのポスター、それを固定するためのペットボトルに水をつめたおもり、そういうもので(つまり手元で賄える精一杯の手段で)ずっと社会と理想を見据えて必死に活動し続けている人をバカにするのは絶対したくないな、何か力になれるなら、そういう気持ちは私にも流石にある。とはいえ「ダサい」「みすぼらしい」と思われるようなものに今の人は多分目を向けてくれないだろうとも思う。だからといってじゃあおまえがプレイヤーとして正式にそこに参加してそれを変えていけるか、と言われるとあの「恥」の感覚が立ち現れ、それを止めさせる。この見栄っ張りがよ………………………………アクションを起こしてる人の方が確実に偉いです。投票だけするのはいやだな、と思ってわざわざ電話までかけて知らない人たちの中に飛び込みボランティアで参加しながら私はどこか「当事者」になることを避け続けていた。

 

ただ、ただの帰属性への恥ずかしさだけではなく「いわゆるリベラル系野党」固有の気恥ずかしさと、さらに進んで「共産党」固有の気まずさも自分の中には確実にあると思う。前者は特にインターネットで揶揄されすぎた。悪意を浴びすぎて、明らかに投票するならそっちという私でさえおおっぴらには表明しにくくなってしまった。これは怖いとかじゃなくて「何か恥ずかしい、言いたくない」という内面化された抑圧の形で現れている。立憲民主を超突貫で作ったときの枝野幸男の超かっこよさ(あれ衝撃的だったんだよ)をあの演説のうまさをよーく知っている私でさえそう思ってしまう(立憲は最近マイナス点を稼ぐことが多くしょっぱいがマジでとんでもない与党と維新とは比べるべきものですらないという所感である この所感の表明にすらある程度以上の勇気が必要だった)

そして後者はもっと歴史的に苛烈に貶められつづけている。ほとんどタブーのような団体名としてのイメージづけをされ続けている。やばい宗教団体くらいに思われている。あまりにも激しい弾圧の歴史に「そこまでぶっ叩かれるなら関わらない方がいいんだろう」と思い込む意識と、無意識の意識がそこには生まれ続けている。(ニューヨークタイムズで「ただの民主主義・反戦・経済的平等のオーソドックスな党ですね日本共産党は」とスッパリ書かれてる記事Japan’s Communists Are Hardly Radical, but Make a Handy Election Target - The New York Times)今一番まともと思っていても(社民党もめちゃくちゃ応援しているが……)親兄弟に「今日共産党の手伝いしてきた〜‼️」と私は言いにくいだろう。そこには確実にスティグマというか、しみついた"ヨゴレ"のイメージがある。そういうの全然ない人はマジでそのままでいてくれ。同年代の、ある程度リベラルな子の前でくらいしか言えないかも。あとはショック療法的にご近所さんとかにいえるかも…?どうだろう。

 

街宣はちっともうるさくなかったけれど、「悪意」としか言いようのない態度やあからさまにイヤそうな態度をむけてくる人もかなりいた。温かい人の方が少数派。「何か言いようのないイヤさ」を共産党に感じているのだ、という印象を感じとった。それはタブー意識と、先述の"一種のダサさ"への忌避感、このあたりのブレンドだったんじゃないかなあ。若い子たちの近くに行った時はこの後者をより強く感じた。おじいちゃんおばあちゃん集団がでかいプラカード掲げて何か小さい声で言いながら紙を渡してくることに「ヤバ」みたいな。前者の気持ちもあっただろうけど。ただ共産党ジェンダーパンフレットはよく出来ていて、ミモザを表紙にあしらった綺麗なデザインで(普通にセンスある)、ジェンダー平等に関することだということだけ書いてあって、党名も記載はしてあるけどサラッとしたものなので党派性も攻撃色も薄い。それだからか、差し出すとかなり貰ってもらえた。特に女の子には。はっきり言ってこの社会じゃ女はどこまでも二級市民扱いされてる風味がやっぱりあちこちで香るから、それを感じとってイヤだなと思っている人はいるので……

 

総括すると党派性のこと、帰属性という面からでも政治性という面からでも忌避する感情がいろんな人に強いんじゃないかなと思う。散々書いてきたように、私もそういうのがすごく苦手みたいである。

「ダサくなくて党派性が薄く、主張はある」ものを私たちは求めているのかもしれない。なんという贅沢なんだろうか。ただとてもマーケティング的ではある。

 

これからもたまにボランティアは行けたらな、と思う。でもなにか党派性を帯びたところに所属したいとはまだ思えない。常任お手伝いさんにはなれない。そのハードルはまだ越えられない。その恥ずかしさは、そんなものを感じることこそ恥なのか、越えなきゃいけないわけじゃないならどう付き合えばいいのか。はっきり言ってわからない。とても困っている。でも、最初に書いたように、人にやらせ続けるのをずるいと思ったのなら、「きてくれるだけでもありがたいよ」と言ってもらえる限り、自分がふんわりとでも力になってみたいところにはつまみ食いのように手を出し続ける、自分の恥と自分の義憤との付き合い方は今はこれしかなさそうなのだ。本当にどうしよう…………

 

(余談として、日本共産党はいまやただの福祉と平等を資本主義の中で目指す党っぽいが別に社会主義を完全に捨てたわけじゃないというのは聞いて面白かった。あと中国のことは「あそこは社会主義の国じゃない もう理想から遠く離れた別の何か」と定義してるらしい。考え方としては「議会制民主主義の果てに社会がそれを選ぶなら社会主義に近づいていくことがあり得る」ということらしくキモは民主主義を守り抜くことにあると。とにかく資本主義が無法地帯になっているなら労働時間にせよ福祉にせよ、そこにルールを作っていくというのがまずは目指すステップなんだと。要するに福祉国家、「大きい政府」的なことなんだなと私は受け取った。終着点はあまりにピュアな理想だ。難しいだろうと思うし、社会主義経済に私は共鳴しないけど(ド金持ちになりたいから)でも「どんな人でもよりよく生きられる社会にしたい」という理想は私も持つものだ。理想を笑ってはいけない。まずは理想を、最高のきれいごとを掲げなきゃ何を目指すにも話にならないから………)

マーベル未履修者シャン・チー見たよ

シャンチーをみた。twitterで評判良かったから(日々の情報の9割をtwitterで得ている)
ただ「評判良い」という前提で見に行くと良いところ探しちゃうから先入観なき視聴とはあまりならないのが難しい つぎはフォロワーの知らない映画を紹介してください(ぼくのときは漆原教授の知らない先生を紹介してください そんな人は知らん)

「唐人街探偵」のときと同じく予告編もWikipediaも一切見ない予習なし(タイムライン受動喫煙は少しある)状態で行ったんだけどボロボロのボコボコに泣きました。手叩いて笑った。面白かった。
ウェンウー近辺にボロカスに泣かされたが……

まだ見てない方には相当お勧めでした。主な理由は以下

・笑い所と泣き所がドスドスある 2時間ちょっとがあっちゅう間
・アクションっぽくもファンタジーぽくもあり、基本的にスカッと見られる
・「おかあさんとおとうさんが愛し合ってあなたたちが生まれました」以外の恋愛要素ゼロ 異様に仲良しの男女がただの異様に仲良しな2人組
・テンションの上げ下げがかなりジェットコースター(さっき観客を泣かせたり悲鳴をあげさせたネタで直後に笑いを取ってきたりする)なので、最近全話公開してtwitterを席巻したゴールデンカムイが気に入った人の心とかにはだいぶクリーンヒットするんじゃないか
・英語中国語の混合でストーリーが進むが、英語の使用単語が多分そこまで難易度高くなく、発音や喋りの速さも含めてかなり聞き取りやすい(気がする)のと、中国語のときは英語字幕と日本語字幕が両方出る。言語の訓練として結構よさそう
(前者は設定として英語ネイティブ(英語母語の英語話者)以外のメインキャラクターが多く、そのキャラクターたちが英語をしゃべるからだと思いますが、個人的には嬉しい作りでした)
・マーベルのこと何も知らんでも普通に単体の映画として観られる(マーベルって何か私知らないのでこれは間違いない)(パズドラコラボでキャプテンアメリカってひといたけどあれがマーベル?マーベルの何?レベル)(マーベルのこと知ってたらもっと面白かったのかな)

 

以下はすべてネタバレ、いくつかのブロックに分けて感想を書きます 一度しかまだ見てません ときどき加筆してます

 

シャン・チーとケイティ(そしてシャーリン)

シャンチーとケイティ、2人の冒頭10分が最高すぎてまずここで全部”理解”った………ちょっとイケてなくて図体でかく気のやさしいチャーミングな男の子(ポスターの100万倍かっこかわいい)とクレイジー超絶おしゃべり最高女のバリバリ悪ノリニコニコフレンドシップだということが デンジャラスドライブとカラオケオールが最高すぎてガッチリつかまれちゃった カラオケボックスで寝落ちてるときショーンがケイティにもたれてるのいい……お互いの体格が全然違うことなんか気づいてもないし一応女の子/男の子だしなとかぜ~~んぜん思ってない感じ 
てかケイティ役の人演技メチャクチャうまくない?????

というかロマンスにならない男女のベストフレンドが見られるよ、と聞いたのが見に行くと決めたほぼ100%の理由だったが、シャンチー(ショーン)とケイティは思った以上にべったりだった。ちょっと予想を超えていた。
同じところに就職して日中いっしょに働き(多分「趣味の運転を楽しみつつ一緒にヘラヘラしてられるから」みたいな互いという「ダチ」を就職の理由にしてないか?)毎日のように片っぽの家に上がり込んで朝飯もいっしょに食い、2人でサイコーの夜を過ごす。
マ~ジで四六時中つるんでいた。こっわ まあまあ大人になってそんなともだちおるか?ふつう みんな実はおるんか?

わたしが何となく持っていた感覚として、コンビないし何らかの2人組がロマンスの文脈に押し込まれないときって、上手く言えないけどほかにもお互いつるんでる人間が一杯いて、人間関係が”2人の世界”で閉じてない……とか、お互いを大事にしてはいるけどある程度ドライ……とかそういうところへ落とし込まれてるから(あるいは肉体関係を持った程度じゃ友情は崩れんしセックス=恋愛じゃないよという文脈)という気がしてたので、割と閉じた2人組でここまでべったり(立派になっていくまわりに取り残されるように2人で一緒にいるし…)でロマンスへ行かなかったのは、ケイティとシャン・チーのあいだでそれが当然のことだからだし、それを維持する努力が多少なされているんだろな~とも思った。
このふたり男男でも女女でも交際しようと思えばできる関係性ではあるもんな それをしないというのは彼らの中に選択肢がないか、選択しないという選択をしているわけで
絶対まわりにメチャクチャからかわれながら過ごしてきてるし……ヘンテコ女といじめられっ子のコンビでさ……からかわれなくたって異性コンビが超絶受けがちな扱いというのがあって、一緒にショッピングに行けば試着室でもアクセサリー屋でも店員に「カップルでお揃いがお勧めですよ(2つ買え)」とか「おい彼氏買ってやりなよ~」とか言われてるに決まっている カラオケ店員に勝手にカップル割を適用されたりしている こればかりは絶対やられている
そういう中で「わたしら友達やから」ってある種の反骨精神がごとき意識や意地、線引きははっきり持っているかもしれないし、またそう思っていたとしても「そんなことわざわざ思わんでもわたしら友達やから」とも同時に思ってるんだろうな~と勝手に想像したりしました。
反抗心も線引きも何もなくナチュラルに当然にただのBFFだったらそれも本当にうれしいが………………シャンチーの情緒はケイティが育てたところも大いにありそうなものなので姉とか親みたいな感覚も少しあるかもだし

MCUシャン・チーとケイティはなぜ「恋愛」にならなかったのか、監督の思いに拍手 - フロントロウ -海外セレブ&海外カルチャー情報を発信
監督のインタビュー フィクションにこういう夢みたいにうれしい関係があること、うれしいと思う……(トートロジー
ショーンにしてみれば多分人生初の友達がケイティじゃないかと思うんだけれども、周りとか見て「相棒」「ニコイチ」みたいになった信頼関係のある男女でどっちかがもう片方に惚れちゃってイケると勘違いして無理やり迫って無限にひどいことになる例を結構現実で観測してきたので……ケイティとシャンチー、まぶしくてつらかった……ロマラブイデオロギー、ぶっ殺していこう………まあ「まわりがあんなに言うからいっぺん付き合ってみっか?」で一日で「ちげーーー!!やめやめ!!!」って一瞬で友達に戻る2人もありな気もするけど……
いや……ショーンみたいな……信頼関係を裏切るみたいに告ってこないしそれを「人間として好きになっちゃって」とか恥ずかしげもなく言い放ったりしない(じゃあ友達のとき何として好きだったんだよ)、距離感近すぎで互いに思いやり深い最高の友達でいられる異性の友達……いるけど良い友達……ただ唯一無二まで行くのはむずいよね……

2人の関係が察せるひとこととして、バスで絡まれたショーンをかばってケイティが「ケンカしそうに見える?」て言いだして助け舟ぽいの出すの全員ウケたと思うんですけど私もちゃんとバカウケした。ケイティ、10年つるんでるダチの身体の厚み見てる? メチャぶあついが??(でもあのシーンと言いconfusion作戦を鉄骨の上の大ピンチでも繰り出せる(歌が歌えるということはこわくて声が出ない、とかじゃない)シーンと言い彼女の胆力には本当にビビる)おっとりニコニコの友達だったんだろな~~どんなにでっかくなってもそんなにでっけえなと思わなかったんだろうな。守ってあげようといつでも思えたんだろうな……そもそも人を殴れるようなやつじゃないという、そういう認識だろう。ショーンがショーンでいた間、ずっとおっとりニコニコかわいいケイティのオモロイ親友でしかなかったという事実、それこそが幸運そのものであり祝福である。抱きしめていこう……そしてこの「ケンカしそうに見える?」の感覚は余裕でマカオまで引き継がれ(?)、ケイティはシャンチーの負けにベットして路銀を確保するのだった ちゃんちゃん
「話は機内で聞く」はかっこよかった~。無理に詮索したり自分の意見をやたら言ったりはしないけど、絶対捕まえないとマズいというときはちゃんと逃がさない……おしゃべりな親友、現実だと余計なこととか自分の話とかしすぎなことがしばしばなので範としようと思う、イチおしゃべりとして 


バスジャックからの運転にしろドラゴンの首元へ放たれた矢にしろ、ケイティがしっかり相棒ポジションに収まって足手まといとかじゃなく不可欠な要素なのすごくありがたい。バーでのシーンを見る限り相棒というより相方だが(掛け合いのテンポがよすぎる)
てか彼女、バークレー出身はヤバすぎるでしょ そりゃ親も泣くしダチも説教するよ アメリカの労働市場は新卒至上主義じゃないけど……でもこういう頭よすぎ・面白すぎ・陽気者すぎ・パワフルすぎてクレイジーゴナクレイジー扱いされるサッパリした女が超高学歴なのは死ぬほど納得感ある。勉強できるに決まってる喋り方だし(ポカホンタス系と日本なら揶揄されそうでヤだな……とも……)
ケイティはなんでもそこそこハイレベルにできるからこそ「自分の能力で極めたいことやりたいこと」を見つけたり探したり決めきったりできなかった、結局それは最後まで解決していない。友達をずっと手助けするよ、という方向に落ち着いたのかもしれないけど うーん それもまた自己実現

しかし14~15歳で脱走したシャンチーは以降の10年を比較的平和に過ごしているので、戦闘の訓練というか第一線からは相当離れていたはずだから、ある程度なまってはいたのか? それにしてもどうやってひとりぼっちなのにアメリカの学校に普通に通ってたんだろう?

これを考えるにつけシャンチーに輪をかけてスゲーのはシャーリンだと思わされるわけですが……まず武術に関して見よう見まねであそこまでいったシャーリンやばくないか?すごすぎる あの戦闘スタイルというか武器は結局メチャクチャ役に立ったね……
そして組織を編成・運営する力が10代後半にして身についている。尋常ではない器……地下闘技場のあの治安悪い感じ、シャーリンの趣味だったんだとラストでわかるのおもろい!実家をビフォーアフター! ジョンジョンもシャーリンに愛されてたんだね~~最後また雇ってもらえてよかったね~~いいのか知らんけど。彼女のモチベーションの種類というかやりくちは兄とかなり異なるという所感があった。息子のほうがママ似で娘のほうがパパ似なんだろうな、性格も(設定上)顔も。
リングを手にしたときにそれを世のために使うこともできたがウェンウーは権力のために使った…というメンタリティにシャーリンは比較的近い。イザとなったら躊躇わないし、自分の国をつくることに興味がある。シャンチーにはたぶんあんまりない。あったらホテルマンハッピーライフをしない。

(追記:いやまあ……シャンチーはいい子でいいやつだけども、シャーリンにとってはシャンチーでさえ「自分を捨てて一人で逃げてった、一番つらい時にそばにいてくれなかった身内」……シャーリンには本当にたぶん誰もいなかったし、かなり小さかったから母親の記憶もシャンチーより薄いはずなので、誰も信じずにカミソリみたいなメンタリティの自立心を育てたのは当然だしそれを完成させて生き延びたのはメチャクチャ立派だよ……シャーリン……テンリングスの頭が兄貴よりキミに適性があるのは因果だけど当然だよ…… シャンチーは一応もう一回くらい妹にちゃんと謝ったほうが今後のためによいと思う)

あと「主人公」は明らかにタイトルロールのシャンチーだから、主人公としての物語的優遇は当然にシャンチーの上にあるけれども、それ以外ではシャンチーとシャーリンの兄妹は意外と平等に扱われていた気がしてそれはすごく良いと思った。
ペンダントもふたりとも持ってるし、竜の上にはふたりとも乗れるし、戦装束はちゃんとふたりのがあるし(あれどうしてシャーリンだけ白いの?白が好きな子供だったの?)、叔母さんだって同じようにふたりをちゃんとケアするし、父親が自分の能力を継がせるシナリオを(一つの選択肢として)想定していた相手はシャンチーだったしあの殺し屋教育についても大いに待遇は違ったというのはあるが(ここも後述)……でもふたりとも竜に乗れるから、ウェンウーを止めに行っていたのはシャーリンでもありえなくはなかったのではないか。もしそうだったら、最後に父親に突き飛ばされて命を守られ、ほほえまれ、リングを渡されたのはシャーリンだったと思うのだ。

1000年前の中国の男に期待しすぎ?ご長男がやっぱり特別?そっか~~~~~……

ウェン・ウー、大人たちと子どもたち

映画視聴後にYouTubeで予告編を見たが、論調にいまいちぴんとこなかった。おそらく字幕の訳出が映画本編と違ったのが大きいんだけど……非情な父親!煽りとかテンリングスという組織へのフォーカスがやたら多かった気がするけど、マーベルファンにはそのほうがしっくりくるのか?徹頭徹尾、生き死にと家族と友達の話に思えたけど…つまりとても内向きなというかね 「悪に染まった父親が世界を脅かす」というけど、世界を脅かす目的は少なくとも映画本編内のウェンウーにはなく「魂の恋人が助けを求めているから救いたい」「そしたらまた会えるし家族も元通りになるんだ」という超ドメスティックなグランドデザインしかなかったように見える。
成人した子供に5~7歳の物語の続きをやらせる(元通りにする)、手元に置いておくなんて無理だしほぼ虐待なんだけどね。覆水盆に返らず、大きくなった子供は永遠に小さくならない。ウェンウー、こどもの自己を見誤ったり認めなかったりする度合がキツすぎて、2桁以下の年齢の人間の発達のぐあいをイマイチわかっていないふしがある。そんなところでスケール感とち狂った仙人ムーブすな、『しをちゃんとぼく』か(しをぼくはおもしろいからみんなよんでね)

[第1話] しをちゃんとぼく - T長 | となりのヤングジャンプ


組織を駆って武力であちこち平定してきたことを「悪に染まった父」というならそうかもしれないが……しかしこれは唐人街探偵でいうところの原罪的完全犯罪に近いものだろうし(唐人街探偵で説明しないで)やっぱりどうもしっくりこない。


ていうかさ~~~~~でもさ~~~もう~~~~~~ウェンウー周りでボロボロに泣かされたよ ウェン・ウーの面差し、とんでもない魅力があるな何だこれ目が離せんのやがと思っていたがとんでもない大物俳優なんですね……
まず冒頭数分のキャッチ力が強かった……イン・リーさんとウェン・ウーの踊るみたいな戦闘シーンのあまりのうつくしさ 柔よく剛を制すという言葉そのもののような(ター・ローは全員等しく戦闘員なのがいい)
イン・リーさんが「若い女!!」って感じじゃなかったのがかえってよかった……かっこよすぎ 異能力持ちの2人、戦士の2人がお互い以外の全部を捨てて弱っちい人間になっていっしょに年を取って死のう、どんな罪も置いていこう、罪深いことは二度としないで、ふたりで、子供をつくって家族を増やして幸せに暮らしていこう……って決意、ありふれた誓いなのに何より重たくてしかし気安くすらあったんだなあ。だってムチャクチャ無鉄砲で無分別だよそんなの。「若さゆえの無茶」で片づけられるようなそれを若さという起爆剤ゼロでやるには別の物凄い起爆剤が必要で、それがとんでもないamountの愛だったんだ……ウェディングフォト、なんなら妻のほうが少し背が高くて、ニコニコしながらハグをして、その写真がずっと置いてあって……思い出はあまりにも色鮮やかで、白黒の写真には写しきれない……べよべよに泣いていました既に

ウェン・ウーがイン・リーを愛する気持ちの重さと強さと種類は、奪われた悲しみと憎しみは誰かが(実子でさえ)ついてこれるような、わこつことができるようなものではなかった。イン・リーが死んだからこそ再びリングを嵌めなおしたわけだが、それは過去の自分たる”テンリングス”への復帰/生涯唯一の伴侶が奪われた未来への復讐としての武力への回帰を意味している。ただしそれは同時にイン・リーのいない永遠を自分は続けるという選択にもなってしまう。つら………てか、永遠の命が着脱式なの、手軽だな……選択の自由がある分つらいかもしれないが……

(追記:元々ふたりは駆け落ちする予定ではなくウェンウーは一緒にターローの村で暮らすつもりだったんだよね 彼女の生活や、彼女が育った場所を知ってそのなかで暮らしたいし無理に連れ出したりしたくないとかもあっただろうけど当初のテンリングスとしての目的「ターローへ辿りつく」とも両立するからなあ そういう色気がまったくなかったわけじゃないかもしれない。でもその色気を叩き潰されてもインリーの愛を請うた事実がウェンウーの真実をやっと示したのであり、あるいはその瞬間に初めてウェンウーがインリーにひざまずいたことが真実の表象になったのかもしれない。そして同時にインリーにも「捨てて示す愛」が生まれてしまったわけだけど………)(恋人としてはウェンウー、めちゃくちゃキュートで誠実でまっとうなんだよな……)

他マーベル作品を見ていたらもっとよくわかるのかもしれず、今から述べることは完全にお門違いかもしれないが、直感的にここまで考えたところで、一定の疑問が出てきた。”なぜウェンウーは”テンリングス”の方面にふたたび走ったか”、”なぜ息子に殺人技術を仕込んだのか、”なぜ娘は訓練を禁じられたのか”あたりのありふれた疑問なんですけど。

まず断っておくとウェンウーがシャンチーとシャーリンにやったことは虐待とは思ってる。対話がないから。この「子供の話聞かなさ・自我認めなさ」はマジ擁護不可能。子供を愛してるのは確実に愛してるんだけど……
2人は日々が苦痛で嫌で嫌で逃げたわけだし……シャンチーは日々殺人技術を仕込まれたことが、シャーリンはそれを許されなかったことが、(皮肉にも、同じことに対する作為と不作為の関係)抑圧として働いた。カンケーないけど、
シャンチー「ここから出なくちゃ!」
壁「どばごしゃん」
シャーリン「前に家出したときこっから出たんだ~」
にウケすぎたし、殺人仕事のために外出自体の許可は出ていた状態で逃げたシャンチーとは違ってひとりで実家の敷地から逃げだすところから始めなきゃいけなかったことのつらさと過酷さも思った シャーリンはっょぃ 強くさせられたのだ……ジョンジョンテメエシャーリンのケイティになれんのかよ(歯をむき出して威嚇する顔文字)

話を戻すとイン・リーが殺され、その復讐のカチコミに幼いシャンチーと出向いた時、ウェンウーはシャンチーに「血は血で償わせなくてはいけない、手伝ってくれるか?」と聞く。シャンチーはうなずく。
なんか……たぶん……これもしかして原因……?殺人マシーン教育の開始の…? 親子でお母さん殺したやつ絶対許さんてあのときいっしょに決めたもんね……くらいの同意と承諾が取れてるスタンスでウェンウー進めてないか……??
「お母さんを思い出すからシャーリンのことをまともに見られない」は真実で、「お母さんは子どもにそんなことさせたがらないからシャーリンは戦っちゃダメ」「でもシャンチーは手伝うってお父さんと約束したから例外」なのか……?(女だからシャーリンは学ばせてもらえなかった……とは違うのかなと思ってる 最後女たちの戦闘部隊をシャーリンがつくってるのはアツいけど)
殺人技術を身につけさせながらも傷を手当てし勉強しろといい、立派な大人になれと説いたあの”親の愛”、殺人訓練をつけるのはシャンチーに頼まれたからだと思ってるまである……??もうわからん……「親」という存在に対して描写が甘い(雑ではなく甘やかすの意味の甘い)ということなのかもしれないが……でもひどい親ってひどいだけじゃなくて優しいことあるし子供を愛していたりするのが特に厄介だったりするしな……少なくともシャンチーも(シャーリンも)お父さんがこわかったけどお父さんを嫌いになることはできなかった……

当時10歳にもなってない子供に「おまえは見ていただけで母さんを守らなかった」ってそりゃねえよ~~だし、自我の未発達な子供がお父さんに手伝えと言われてうなずいたから約束しただろってのもキッツいし~~……ウェンウー、幼い子供の能力と理性を信じすぎなわりに子供の自我をあんまり認めてないの、やっぱり年齢感覚がむちゃくちゃなんでは…………ウェンウーにしてみれば家族が自分と同じテンションでイン・リーを求めないことこそ信じられないし許せなかったんだろうけど……
「息子をこんな殺人マシーンにして母さんがあんたを愛してくれると思うのか!」ってシャンチーの言葉がどれだけクリティカルな矢だったことか シャンチーがあれを言えてよかったよ……死に逃げされたらもう言えないからね~~ (これはシャンチーが母が自分を愛していたことは曇りなく信じていられた証明のセリフでもあり……)

ていうかケイティに関してウェンウーが「彼女か?」みたいなイジりしなかったのパッと見好印象だったけどあれも7歳の子どもと25歳の子どもの区別があんまついてないのでは?? 

家族が揃ったらテンリングスを立て直そう、というのは、家族を守るにはやっぱり武力が必要だ……というウェンウーのアップデートした方向性なんだろう。
焼き払えと言っておきながら、いまから焼き払うはずのターローの中にあるインリーさんの遺影にそっと手を合わせる姿にベロベロに泣いた。(追記:手を合わせてる時点でウェンウーはインリーのことほんとはわかってたんだろう、それでも彼女が助けを呼ぶ声を絶対に無視したくなかったんだろう……ってフォロワーが言っててもっと泣いちゃった ウー……)

ウェンウーは父親にはなれなかった……恋人にしか夫にしか……と思ったら……最期のときウェンウーは父親だった。あれで免責すべきじゃないとわかってるけど、最後リングの力をどんな風にも使えたのに、よけられたのに、自分よりでっかく育った反抗的な息子を守って笑って死んだよ あのとき自分が妻の声に騙されたことに多分気がついただろうけどそこでシャンチーをみて笑って自分が子供へ渡せるものを渡したのはあのときウェンウーは父親だったんだ……シャーリンにも見てほしかった………

あとさ……まともな大人と言えばさ……ナン叔母さんがいいんだよな……初めて会うはずの甥と姪を真っ先に抱きしめて、わずかな時間を最大限に使って2人がいちばん傷ついてきたところに対して必要なケアをして……… 
(でもなんか 大人はまともでいなきゃいけないし子供を脅かしちゃいけないんだけど どうしてもまともでいられないこと、まともでいられない気持ち、ケアされるべき瞬間が大人にだってあることも忘れたらいけないよな……とも思うんですよ……)

その他(枝葉末節)

・イン・リーさん、シャンチー、ナン叔母さん、美しいロンド・ジャンプ・ア・テールに始まり繰り出される武術、太極拳モチーフ?が娘からその子供へ受け継がれた型なんだなあ~~
・しかしすべての異能を村に置いてきても子供をかばいきってそこそこの数の敵は殺せたっぽいインリーお母さん素の戦闘力からしてパないよ この親にしてこの子あり「父を倒せたのは母だけ」 せやった
・ケイティとシャンチーとシャーリンにがっつり尺さいてもっとこう規範とかイヤな家族とかそういうものをどう考えて乗り越えていくか……みたいな話見ていたい
・モーーーリス ふわふわのモーーリス ターローへ入ってからこっちずっとハリーポッターとかナルニア国の世界だったな ごりごりのファンタジーだった 
・家族に「マーベルの新しいやつみたよ」って言ったら「テンリングスの伝説だっけ?」って副題の方で聞かれたのでたぶんイッテQのこと謎解き冒険バラエティーって呼ぶ人種だと思う
マクベスおじさん、あれだけキレキレギャグの展開し続ける世界で電波系コメディリリーフをつらぬけるのは大才能だよ
・あの…電車の車両と車両のあいだのびよびよみたいなので繋がったああいうデッカイバスってふつうなの?すごいね 右左折にバカテク必要そう


また見に行く~~~………悪文にお付き合いくださりありがとうございました。

8月までの桃パフェ(TSUBASA COFFEE/新宿御苑・新宿三丁目)

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Twitterで先々月くらいにバズっていた桃のパフェを食べに行った(日々の情報の8割Twitterから取ってる)新宿御苑駅か新宿3丁目駅の近くの小さいお店。

お店はここTSUBASA COFFEE (ツバサ コーヒー) - 新宿御苑前/カフェ | 食べログ


この桃のパフェ、なんかものすごい長い名前が付いてたけど覚えてない。公式インスタから前日まで予約もできるが、予約の場合ワンドリンクを必ず注文するルール。8月いっぱいだと思うので気になる場合は行っても良いと思う。まあまあおいしかったので。お値段は税込み1600円。このレベルのパフェだと相当手頃な方かと思う。まあ高級ホテル系とかとはブランド代や場所が違うしね……

パフェの構成はざっくり
・切った桃 
・塩バニラアイス 
・小ぶりのプリン 
クリームチーズアイス 
クリームチーズ 
ラズベリーエスプーマとエスプレッソのエスプーマ 
コーヒーゼリー 
シャンパンゼリー
スポンジケーキ 
・パイ生地みたいなザクザクしたやつ 
・ブルーベリー数粒 ・「追い桃」(パフェ横の小瓶、大きめの角切りの桃とシロップ)

フルーツと生クリームだけ詰めたようなパフェよりもいろんなもの入れて複雑な味のする凝りに凝ったパフェの方が好きなので、好きなタイプだった。フルーツだけ味わいたい!という人向けではない。
シャンパンゼリーもコーヒーゼリーも苦めだし、エスプレッソのエスプーマも苦味があるので甘味・酸味だけじゃなく苦味も加わった割と大人な仕上がりだと思う。コーヒーが売りの店でもあるようだし。エスプレッソのエスプーマが個人的にはすごく好きで、いい仕事してたと思う。ラズベリーエスプーマはほぼ酸味のないやさしい味。
普通のパフェって甘味が続くとキツいからフルーツの酸味を甘味にうまく挟んで…って形で攻略していくと思うんだけど、このパフェだとそこに想定外の苦味プレイヤーがかなり存在感発揮して噛んでくるので普段の感覚だと戦略狂う! 桃が一番甘く感じるようにわざわざ常温にしてあるのがこだわりポイントっぽいが、普通に冷やしてよという人もいるかも。私は好きだった。
あとクリームチーズ、めちゃくちゃ濃かったな……

がっつりスポンジケーキが入ってたり(ど真ん中に入っており、いろんなものの土台になってることに後から気づく 縁の下の力持ち)、自家製の小さいプリンが載ってたり、大胆でよかった。桃は最初に乗ってる量だけだと他の具材が多種類あるだけにやや寂しいので追い桃があるのが非常に良い。楽しいしおいしいから。
丸太を切ったような分厚いお盆というか台にパフェグラスを乗せてくれるのもおしゃれで嬉しい。

ただ超オシャレ完璧隙なしお店かというと全然そんなことはなかった。内装はかわいいし落ち着いたトーンでまとまってるし写真映えするこぢんまりしたお店なのだが、片付けがちょっと苦手っぽい雰囲気がある。
カウンターに面したおしゃれな食器棚に普通に宅急便の伝票が立てかけられてたり資材物置きと思しきところのカーテンが普通に半開きで中めっちゃ見えてたり、あと食器の積み方とかがどうも20代の一人暮らしっぽかったり、こう細部の詰めが甘い感じ。小さいお店だから手狭なんだろうな。冒頭の写真にも実はキッチンペーパーのロールが映り込んでいる。クロネコヤマトの伝票は流石にこんなもん写したら気の毒なのでパフェの後ろに隠れるように撮った。(衛生的に問題だろと思うようなところは無かったよ!)
あとアクリル板やら食器棚やらに店主のものと思しき顔写真がバッチリ貼ってあったりメニューの商品名がめちゃ長文ポエムだったりしてバリスタという生き物の流儀……?ナルシシズム……?を見せつけられる感じもすごくある。

最初はン〜…怖えな……このノリ……と思ったけど全体の雰囲気はいいし、ニーナ・シモンズのfeeling goodが流れてきて一気に気分が良くなった。音楽の趣味がいい。慣れればちょっとゆるい片付けも店主のナルシシズムもこれはこれで味。つまり大きな問題ではない。
お手洗いはキレイだったし店員さんも感じよかったので帰る頃にはすっかりいいお店じゃん、と思っていた。店員さんはみんな男の人だった。常連か準関係者らしいおっちゃんが途中でやってきて店員さんと喋ってるのを聞くにボスの呼び方は「オーナー」ではなく「店主」であり、「店主」はめったにこの店へは来ないらしい。

 パフェはどう撮っても絵になるし、無駄な高さもなく食べやすい。お店はかわいいし、ちょっとした詰めの甘さも気にしなければ気にならないし、気になっても別に愛せるレベル。現金もクレカもpaypayも使えて決済方法が多いのも非常に良かった。また行くと思います。

唐人街探偵東京MISSION(2回目)

唐人街探偵のこと忘れられなくて2回目見に行っちゃった また全部箇条書きのネタバレ感想書きます そんな目新しい内容はない
知人(母と同世代の女性)にも勧めたら見に行ってくれて、「すっごい面白かった!前のも見たい!次はロンドン?楽しみ~」「魅力的なキャラが目白押しでよかったふざけてるし 一緒に踊りたかった~」「日本人俳優も良かった 長澤まさみはやっぱりすごい」「チンフォンは甥っ子の付喪神のような子ね(象徴ってこと?)」って感想くれた

〈初見時の感想〉

「唐人街探偵 東京MISSION」を見た - 33億6000万円

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パンフレットも買っちゃった B5、完全に同人誌のサイズ
映画のパンフは読むか読まないかとか内容云々ではなく「この映画を見たって何年経っても覚えておきたいな~」って時に買う つまり前回はバーフバリ

<パンフ内容含む2回目感想 ※邦人・海外俳優ともに知識ゼロです>
なにが起きるかわかった上で見るとやっぱり今度は細かいところがおもしろかったり、意外と忘れてるシーンがあったりして非常に良かったです チン・フォンはかわいいし最後長澤まさみが全部持っていく………あと確かにタン・レンがこの映画の空気感を決定づけてるところはあるんだろうな ムードクリエイター


【冒頭~空港脱出】
・初見では一個もわからなかった悪夢部分(公式サイトもポスターも出演者も一個も見ずに初回挑んだせいもある)お父さんが捕まるところしか覚えてなかったけど、お母さんは亡くなってしまったの? 
・「なぜ警察学校に?」って言われて「完全犯罪がしたいです」って言ったらどんなにペーパーテスト良くても落ちるだろって思ったけど後でパンフ見たら「チン・フォンは超優秀なのに警察学校の試験に失敗」みたいなことが書いてあってでしょうね!!って思ったよ!!医師国家試験とかと同じであぶなそうなやつは落とされる……パンフの別のページにも「優秀なのにどこか頼りない甥っ子チン・フォン」って書いてあって、チン・フォンそんなに優秀の後に「なのに」をつけられなきゃいけない……??頼りない要素あったかな……少なくとも作中にはなくない……?警察学校で完全犯罪が夢で~~すっていう男の子は確かに頼りたくないけど……作中では大してヤバムーブもしてないし足引っ張ってないどころか活躍してるし雰囲気だけじゃない……?前作見たらまた違うの……?大事なところではめられて逮捕されたりとかのこと言ってる……??雰囲気がフワ~~っと淡々としてるだけじゃない……?
・お父さんは当然名前のフォンを呼ぶけど親戚のおじさんのタン・レンはチン・フォンをチンと呼び、タン・レンも彼にタンと呼ばれてるのが気になるので詳しい人がいたら教えてほしい
・初回でもなんとなく思ってたけどタン・レンおじさんその「着ても裸」のダルダルシャツ、マジで何?
・ウェルカムトゥー東京乱闘in成田、かなり最初のほうでチンフォンスーツケースぶん投げてるが大丈夫か?あとで野田が回収したと思うことにする


【おふろ】
・チン・フォンくんはいつも割と淡々と堂々としてるけど、ヤクザ者に寄ってたかって裸にされたときは急いでうつむいて腕で身体を隠しているので……そういうところ……めちゃくちゃ好きだなって思った……二回見ても思った……
・そういや渡辺さん初登場時パックしてたな……すっかり忘れてた……なんでそんなとこでそんなちょびっとおもしろいことするんだ……
・確かにこのふろ場にチン・フォン一人で行かせるのは心配すぎる タン・レンおじさんは必要
・野田はなぜ脱がん
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ヤクザに風呂に沈められたチン・フォンくん(嘘のない語弊)

【病院~Qのミッション】
・公式twitter確認したらボコボコにされたナースさんは無事って書いてあって本当に本当に胸を撫でおろした 信じていいの?あんなにひどい目に遭ってたのに?
・医者の変装のマスクをどれくらいすぐ外すかでキャラが出ている
・公平には犠牲が必要だ、のところ、どう今後の伏線で効いてくるのか?それともチン・フォンくんの過去に関するところなのか?それとも一種の共産主義への皮肉か?
・野田がATMから人海戦術で引き出させたお金を数えてる場所なんだろう?ホテル?と思ってたんだけどパンフのロケ地に「野田の実家 ロックハート城」って書いてあって実家かあ~~~ってなった 野田って苗字の人間が住むところじゃないよ西洋風の城は(ド失礼)
・ひょうたん童子かわいい…本当にかわいい……唇の色を消してから口紅塗ってるチン・フォンかわいいよ…………若いツバメよ……
聖闘士星矢衣装着ちゃうと一気に四十路男……って感じになるからセルフプロデュースの力ってすごいんだなって思った妻夫木聡見て……
・相撲、反則すぎ 何回観ても端的に卑怯すぎて爆笑する ボコボコにされるタン・レンおじさんあんなに実写でマンガみたいにボコられた人後にも先にもいないと思う あと懐メロ以心伝心が個人的にいちばん笑うシーンかもしれない 「懐メロが聞こえるだろ?」「それじゃない!」

【田中と村田とQ】
・田中、特に初登場時で目に付く演技の下手っぽさというかなんというか?がすごく気になった 棒読みくさい浮いてる仕草と声色と読み口……これがあって初見時田中のことキーパーソンだと全然思わなくて終盤でビビったんだよね 浅野忠信が出てる作品をほかに見たことがないから演技の普段の芸風がわからないけどそういう戦略…?
・田中、めちゃくちゃチン・フォンの体さわるよね しかもなんかすごくイヤな触り方する わざとやらしくというか、小悪党風に作ってるよねやっぱり?
・原罪ね まあ500円のもの窃盗したら逮捕されるのに30億円横領しても捕まらなかったりしますからねこの世界は それを完全犯罪と呼ぶならそうなんでしょうかね
殺人罪は最悪死刑だぞ~~っておどしてるけど複数殺さないとなかなか死刑にはならないんだよなあ 押してたとしても脅迫されての自殺幇助だからな~大した罪はつかなさそうだけどな~
・田中あれどうなったの?村田を逃がしてああいうことさせてた実行犯が田中だとするならそれはばれたの?田中多分逃げたんだろうな~ということはやっとわかったが…警察をやめてトンズラしたとすれば、死刑囚に命を売らせておまえを助けてやるぞ~とかチン・フォンに言ってたけど多分そんな力ないよね そうするとチン・フォンの拘留自体は目的じゃないから無実にする必要があり、そうすると村田は最初から「押したように見せかけて自殺しろ」と指示された可能性はゼロじゃないのか?
村田(と田中)がチン・フォンを「自殺で陥れた」という物言いを野田がしたのがかなり気になってる 村田の自殺はQへの反抗だったとみるか、指示通りだったとみるかかなり難しい
・Q見事にアジア系しかいないな まあ西洋映画だったら9割コーカソイドで1割アジア系かアフリカ系みたいな感じだろうし別にいいか 
・Qは小林ちゃんが本件の犯人だと気づいていたのか?ここ地味にいちばん気になる

【裁判】
・ジャック・ジャーまで異議ありって言って乱入してるの気付かなかった 逆裁の流儀過ぎる
・よく考えたらチン・フォンは現場写真でしか衝立の破片を見てないのによく頭の中で組み立てられたな(現場で実物見てても尋常じゃないけど)残さず写真に収めた影の功労者がいる あとよくデータでのシミュレーションも作れたな
・作中で2019年の事件と明言され、戸籍の部分によれば1983年?時点で3歳?40歳近いくらいなのか小林ちゃん それが本当だとしたら何かリアルで私は好きだな しかし「もうすぐ50」の川村のおばさまとそんなに変わらないというキャラづくりではなさそうだけど実際いくつくらいなんだ
・渡辺さんの出自、やっと何となく分かったけどやくざの子供で中国残留孤児か 暴力団も出征したのか私あんまり知らないんけど… 向こうでもきっと相当でかい社会問題だよなこれ周りの話
・小林ちゃんの叫びに全部持っていかれるんだよなあ あそこで裁判官に涙を堪えた声色を出させるのは多分正解で、あれを聞かされて泣かないのは無理なんだよな 2回目でも泣いたしまわりからも鼻を鳴らす音いっぱい聞こえたし
・渡辺さんは娘の「自分が知ってる(自分たちでつけた)名前」を最後に呼んだのか…

【その他】
・スノーちゃんといい序盤の小林ちゃんといい、カラーレスメイクが可愛いな ほとんど唇の色抜いててそれが可愛い うーん 真似できん
・チン・フォンが村田の殺人容疑かかったとき「刑が重くて保釈は無理」って言ってたけど同じ殺人容疑の渡辺さんは苦労したけど保釈取ってたよな…(普通一定以上量刑の重い罪で保釈は取れなかった気がするので前者のほうがルール遵守的という印象ではある)
・チンフォンは怪我した状態で殴られかけたらとっさに頭を抱えて丸まるからやっぱりケンカ強くはないんだね 露出狂は真っ先にボカドカ蹴ってたけど……Twitterで「あの露出狂のシーンが4人が初めて結託するシーン」って書いてる人いて膝打ったけどいろいろひどいな(おもしろいな)まあ周りにみんないて弱そうならキックくらいできるのか……
・スノーちゃん タイ人のあだ名らしい感じだな~(名前が難しいので本名とかけ離れた簡単な渾名を付け、親もそれで呼ぶとか聞いたことある)と思ってたらパンフで「スー・ヌオ」って役名書いてあってずっこけちゃった すまない
・現場を調べに行くシーン、「ここの従業員の吉本●●は首をつっているのが見つかった」みたいな野田のセリフだけびっくりするくらい舌足らず 中国語と代わる代わる喋るのやっぱり大変なのかな
・怖い悲しいつらい痛いとかはあるけどドライであんまり引きずらないねチンフォンは、って思ってたけど「個人主義的なお国柄」が一種そこにかかってたりしなくもないんだろうか そうするとやっぱりお調子者でめちゃくちゃだけど人一倍情に厚くて絶対助けるぞって大声で口に出すタン・レンおじさんがこの作品で果たす役割は大きいよな~ヒューマンドラマ的に

あ~~~~おもしろかった……
唐人街探偵、2のニューヨーク編も日本でやってくれるらしいからうれしすぎるね……でもそのとき3もまた同時上映してほしいね……映画館てそういうのどうやってやるの?できるんですか? バンコク好きだから1も見たいし……